小沢健二のライブ「魔法的」に4回行って自分が成長したことを実感した話

私にとって、人生かけて夢中になれることと言えば恋愛くらいしかないのだけど、私がそれだけ恋愛至上主義になってしまった原因は、小沢健二だと思う。 

初めて彼のことを知ったのは、小学生の時。HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPでのダウンタウンとの自由な掛け合いに衝撃を受け、ビデオテープが擦り切れるほど何度も見直した。見れば見るほど「ああ、わたしこの人好き!」とどんどんファンになっていた。

彼は、1998年を境に、表立った活動を止め、その後何枚かのアルバムをリリースしたけど、ほぼ活動休止状態。2010年、2012年にライブツアーをし、今年2016年に、活動休止状態後3度目のツアーを行った。わたしは、どのツアーもいろんな手段を使って最低1回は見に行ったのだけど、今年のツアー「魔法的」は、いろんな縁で4公演観てきた。

 今回は新曲7曲、今までわたしが観てきたツアーとは明らかに違った。小沢健二が常に示してきた世界観が、新しい次元に進化したのを感じた。

 

1998年までの彼の歌う世界は、本当に明るくて楽しくて輝いていた。
一方で、その歌はいつも、そのポジティブな瞬間はいつか終わってしまう、という恐れの感情を孕んでいた。

例えば、代表曲「ラブリー」。
大好きな人と出会って、幸せに過ごしてる絶頂を歌ってる歌。
でも、ふと出てくる歌詞。
「いつか悲しみで胸がいっぱいでも Oh baby Lovely,lovely 続いてくのさデイズ」

他にも「強い気持ち 強い愛」。
誰かと出会って、心が通い合う魔法の瞬間、みたいな歌。
でも、最後の歌詞は、
「涙がこぼれては ずっと頬をつたう 冷たく強い風 君と僕は笑う 今のこの気持ち ほんとだよね」

彼の歌にはいつも、幸せが終わる瞬間を予感した恐怖や、今絶頂の幸せがまやかしではないかという不安を感じさせるような言葉が入っていた。今が絶頂、何やっても幸せ、でもその瞬間が「2度と戻れない美しい日」であることを知っている怖さ。

スイカに塩をかけると甘さが引き立つ理論で、そのネガティブな気持ちは彼の歌う世界により輝きを与えていた。

 絶頂が終わった後に来るのは、きっと、生きていく上で乗り越えて乗り越えていかないといけない、いろんなコト。よくわかんないけど、このままこんなハッピーな訳は絶対ない。まだ見ぬ困難への不安。

その不安に対して、2016年の小沢健二は、今回のツアーの新曲という形で答えを用意してくれたんだと思う。

ありとあらゆる可能性に満ちた20代前半の「全知全能感」は、やがて「あきらめ」を知る。きっかけは、仕事で自分の限界を知ることかもしれないし、家庭を作っていく上でぶつかる人間関係かもしれない。
そして、美しい日には戻れない自分に直面して、絶望するんだと思う。もう、自分は輝きを取り戻せないんだと。

そんな時は、どうしたらいいのか。

導くよ!宇宙の力
何も嘘はつかずに
ありのままを与えて欲しい
ちゃんと食べること、眠ること
怪物を恐れずに進むこと
いつか、絶望と希望が一緒にある世界へ!

この歌詞を聴いて、「ああ!今回のツアー、そういうこと!」と視界がぱあっと開けた瞬間が印象に残ってる。

落ち込んでる時こそ、ちゃんと自分と向き合って、でもきちんと食べて眠ってきちんと生活することが大事で、そして挑戦する勇気も失ってはダメで。そうやって進んでいくと、どんどん人生が豊かになっていく、そんなメッセージを勝手に読み取った。

「輝けないと絶望する自分と向き合わないといけない時もあるけど、生きていけば乗り越えられる」「大きな力の中に生きてるけど、私たちはその中で1番いいと納得したことを行動し続けるしかない」「そしたら、きっと到達できる場所や、達成できることがある」

 過去の小沢健二の世界観がそうだったように、今回の新曲は共通の世界観があった。

圧倒的な刹那主義の次に、彼が提案したのは、困難を乗り越えられると信じる力が溢れる世界。はしごは、一見届かないように見えるけど、上まで導いてもらえるように、世界はできている。

彼が、生きていることに向き合いまくった結果、広がった世界なんだろうなと思った。 

私は今も恋愛至上主義だけど、でも、過去のように刹那的に楽しむ恋愛の意味のなさを知ってる。未来がない、刹那的な恋愛は内容が薄くてつまらない。
2016年の小沢健二が歌う世界のような、豊かな人生に私は歩みを進めることができていたのだなと、自分の成長を感じることができたなと実感した。