夫が好きだという話

夫のことが好きでしょうがない。

ヒドいことをたくさんされたし、ヒドいことをたくさん言われた。

とんでもない心の傷をたくさん負わされた。

他の女と同じ名字を見るだけで吐き気がする気持ちも、他の女の地元の地名を聞くだけで耳を塞ぎたくなる気持ちも、ハンドルネームを見るだけでツバを吐きかけたくなる気持ちも、夫と出会わなければ味わうことがなかっただろう。

でも、好きだ。

全然趣味が合わない。同じ映画を見ても、感想が全然噛み合わない。だって見てる目線が全然違うんだもん。でも、そんなの全然関係ない。「その観点で見てるの〜?!」という新しい発見があってむしろ楽しい。

毎日帰ってくるのが楽しみ。

帰ってきて、私に「ご飯作って」って言ってくれるのが嬉しい。

犬と楽しそうに遊ぶのを眺めるのが幸せ。

「今日、化粧変えたんだ〜」と言ったら、「うん、こっちのほうがいいね」と言ってくれる会話が、本当に涙が出るほど幸せな気分になる。

どうして、こんなに好きなんだろう。

顔が好みだから?家族になったから?昨日デートしたから?

わかんない。

わかんないけど、とにかく好きだ。

仕事も美容もやる気が出る気がする。

ツラいことはたくさんあるけど、わたしは幸せなんだと思う。

いつも未来が見えなくて不安だったけど、最近は明るい未来が描ける気がする。

あーー!!何かを表現したい!!とくすぶってる話

この1年で、本当にいろんなことがあった。

好きになりそうな人に2人出会った。でも、今の旦那と復縁し、スピード結婚。

仕事はいろいろあって、楽しくもあるし、納得いかないこともたくさんある。そして、今の会社では、いろいろ限界があるなと結論づけることができた。

まだまだ途上だけど、自分がこう生きていきたいというようなものが、おぼろげながらつかめてきた。今まで書いてたブログとか見返してきたけど、いい記事もあるけど、基本本当にクズみたいな人間だった私が、ようやくどうにかなろうとしている。わからないけど。普通の人並みのモチベーションに追いつけそうな気がしている。

(ちなみに、いい記事だと思ったのは、震災の時のことを書き留めた記事。書くモチベーションが高かったわけではなく、書きなぐっただけなはずなのに、いろいろ当時の心境を思い出せる用に書いてあって、GJ自分!と思った)

ここみたいな匿名じゃなくて、また別の人格を作るかもしれないし、本名でブログかなにかを作るかもしれない。

妄想恋愛体質ちゃんは卒業かも。

結婚して、自分がこうしたいと強く思うようになったら、もう恋愛体質ではなくなってしまっていたから。

人に振り回される人生が楽しいと思っていたけど、それって過去の私は自己肯定感がすごく低かったから。今はやっとダメな自分を肯定して、好きになってあげられるから、もっとたんたんと生きていきたいと思っている。

たんたんと、は言い過ぎか。でも、他人に振り回されるのは疲れるな。特に私に興味がない他人に振り回されるのはまっぴら。わたしはわたしのペースで生きていく。自分の人生を生きるのは自分しかいないから。

でも、またぶわーーーと書きたくなったらここに戻ってこよ。

妄想恋愛体質ちゃんは、卒業しても、私の原点であることに変わりはないと思うから。

小沢健二のライブ「魔法的」に4回行って自分が成長したことを実感した話

私にとって、人生かけて夢中になれることと言えば恋愛くらいしかないのだけど、私がそれだけ恋愛至上主義になってしまった原因は、小沢健二だと思う。 

初めて彼のことを知ったのは、小学生の時。HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPでのダウンタウンとの自由な掛け合いに衝撃を受け、ビデオテープが擦り切れるほど何度も見直した。見れば見るほど「ああ、わたしこの人好き!」とどんどんファンになっていた。

彼は、1998年を境に、表立った活動を止め、その後何枚かのアルバムをリリースしたけど、ほぼ活動休止状態。2010年、2012年にライブツアーをし、今年2016年に、活動休止状態後3度目のツアーを行った。わたしは、どのツアーもいろんな手段を使って最低1回は見に行ったのだけど、今年のツアー「魔法的」は、いろんな縁で4公演観てきた。

 今回は新曲7曲、今までわたしが観てきたツアーとは明らかに違った。小沢健二が常に示してきた世界観が、新しい次元に進化したのを感じた。

 

1998年までの彼の歌う世界は、本当に明るくて楽しくて輝いていた。
一方で、その歌はいつも、そのポジティブな瞬間はいつか終わってしまう、という恐れの感情を孕んでいた。

例えば、代表曲「ラブリー」。
大好きな人と出会って、幸せに過ごしてる絶頂を歌ってる歌。
でも、ふと出てくる歌詞。
「いつか悲しみで胸がいっぱいでも Oh baby Lovely,lovely 続いてくのさデイズ」

他にも「強い気持ち 強い愛」。
誰かと出会って、心が通い合う魔法の瞬間、みたいな歌。
でも、最後の歌詞は、
「涙がこぼれては ずっと頬をつたう 冷たく強い風 君と僕は笑う 今のこの気持ち ほんとだよね」

彼の歌にはいつも、幸せが終わる瞬間を予感した恐怖や、今絶頂の幸せがまやかしではないかという不安を感じさせるような言葉が入っていた。今が絶頂、何やっても幸せ、でもその瞬間が「2度と戻れない美しい日」であることを知っている怖さ。

スイカに塩をかけると甘さが引き立つ理論で、そのネガティブな気持ちは彼の歌う世界により輝きを与えていた。

 絶頂が終わった後に来るのは、きっと、生きていく上で乗り越えて乗り越えていかないといけない、いろんなコト。よくわかんないけど、このままこんなハッピーな訳は絶対ない。まだ見ぬ困難への不安。

その不安に対して、2016年の小沢健二は、今回のツアーの新曲という形で答えを用意してくれたんだと思う。

ありとあらゆる可能性に満ちた20代前半の「全知全能感」は、やがて「あきらめ」を知る。きっかけは、仕事で自分の限界を知ることかもしれないし、家庭を作っていく上でぶつかる人間関係かもしれない。
そして、美しい日には戻れない自分に直面して、絶望するんだと思う。もう、自分は輝きを取り戻せないんだと。

そんな時は、どうしたらいいのか。

導くよ!宇宙の力
何も嘘はつかずに
ありのままを与えて欲しい
ちゃんと食べること、眠ること
怪物を恐れずに進むこと
いつか、絶望と希望が一緒にある世界へ!

この歌詞を聴いて、「ああ!今回のツアー、そういうこと!」と視界がぱあっと開けた瞬間が印象に残ってる。

落ち込んでる時こそ、ちゃんと自分と向き合って、でもきちんと食べて眠ってきちんと生活することが大事で、そして挑戦する勇気も失ってはダメで。そうやって進んでいくと、どんどん人生が豊かになっていく、そんなメッセージを勝手に読み取った。

「輝けないと絶望する自分と向き合わないといけない時もあるけど、生きていけば乗り越えられる」「大きな力の中に生きてるけど、私たちはその中で1番いいと納得したことを行動し続けるしかない」「そしたら、きっと到達できる場所や、達成できることがある」

 過去の小沢健二の世界観がそうだったように、今回の新曲は共通の世界観があった。

圧倒的な刹那主義の次に、彼が提案したのは、困難を乗り越えられると信じる力が溢れる世界。はしごは、一見届かないように見えるけど、上まで導いてもらえるように、世界はできている。

彼が、生きていることに向き合いまくった結果、広がった世界なんだろうなと思った。 

私は今も恋愛至上主義だけど、でも、過去のように刹那的に楽しむ恋愛の意味のなさを知ってる。未来がない、刹那的な恋愛は内容が薄くてつまらない。
2016年の小沢健二が歌う世界のような、豊かな人生に私は歩みを進めることができていたのだなと、自分の成長を感じることができたなと実感した。

「ゲスの極み川谷氏の奥さんがかわいそう」という人たちに対して持つ違和感の話

 世の中を騒がせてたゲス川谷氏の離婚が成立したらしい。

headlines.yahoo.co.jp

この一連の報道に関して「奥さんが本当にかわいそう」っていう意見がよくあるんだけど、それ聞いて、個人的に違和感というか、苛立ちというか、ヒガミというか、そういうのを感じたので、なんでだろうと思って自分の気持ちを整理してみた。


とりあえず、現状でわかっているゲス川谷氏とベッキーの不倫報道に関する情報をまとめ

報道記事をまとめるとこんな感じ?

  • ゲス川谷氏とベッキーが恋愛関係にあった。(プラトニックなのか、肉体的な関係があったのかは謎)
  • ゲス川谷氏は結婚して3カ月で不倫して、一番最初の正月の里帰りにベッキーを連れて帰ったらしい
  • ゲス川谷氏は、結婚したことを隠していた。が、ベッキーとの不倫報道の流れで結婚していたことを明かした。
  • 結婚したことを明かした後の報道で、妻とは別居して離婚協議中だと発表している。
  • ゲスの嫁は離婚宣告は突然で承服していないらしいとの報道がでた。
  • ベッキーが記者会見を開き「川谷さんとは友人関係です」と宣言。
  • でも、ベッキーはゲス川谷氏と「センテンススプリング!」的なLINEをやってた。
  • その後ベッキー休業

報道記事でのソースは確認できなかったけど、なんか噂っぽい話

  • ゲスの嫁は、インディーズ時代ずっと川谷氏を支え食べさせてきたらしい?
  • ゲスの嫁は、川谷氏のインディーズバンド時代のスタッフで、元読モでめちゃかわいいらしい?


個人的結論→「ゲスの嫁かわいそう」は、やっぱり変でしょ

上記前提条件で、やっぱり「ゲスの嫁かわいそう」っていうのは、変だと思うのですよね。

理由は2つ。

1.奥さんがどんな人なのかがよくわからなすぎる。

まず、一連の情報の中で、奥さんに関する情報が少なすぎる。一般の方だから別にそれはいいのだけど、この情報をもとに、奥さんがどんな人なのかはちょっと読み解けない。だから、同情できないんだと思う。

本当に、売れない時代を支えていたのか謎だし、結婚までの経緯も謎。ゲスの極みが売れたから、結婚を迫った可能性だってある。

上記情報から受ける、私の個人的な印象は、「新婚3ヶ月で旦那から突然「離婚したい」と言われちゃう嫁ってどんなヤツなの?」という感じ。だから「かわいそう」っていう感情が全然湧いてこない。

2.女は結婚したら自動的に一生大切にしてもらえるっていうのは無責任だと思うの。

「ゲスの嫁がかわいそう」と言ってる人は、結婚したら女は何もしなくても一生大切にしてもらえるって思っていそうで、これが、私が個人的に「ゲス嫁かわいそう」派に対して違和感を持っちゃう原因。

結婚したら共に支えあい、助け合い生きていくべきだろうなって思うよ。でも、それは「共に」というところが重要。

男は浮気をしていいわけじゃないけど、浮気する男はいると思う。
浮気する男を自分で選んで、なおかつ、浮気されるのが嫌なら、浮気したくなくなるような努力を嫁側がするべき。だし、それは可能。

あと、「過去に支えたから、今感謝して!」って気持ちはわからなくもないけど、なんかすごく横暴な気がする。
女子にとって若い時間は本当に大事。そんな大事な時間を、その男に投資するって決めたのは自分。それを「支えたんだから今返して!」っていうのは、理論としては理解できる。

でも、人は今を生きてるわけだし、男は歳を重ねればお金稼げるようになってモテ度合いもあがっていく。浮気男にとっては有頂天になっちゃうようなそんな時期を「昔助けたから」なんていう理由で奪う権利を主張するのは、なんか、過去の栄光にすがる人間の弱さを感じてしまう。さらに、本来自分が好きで頑張っていたことを、「相手のためにやってたのに」って過去を書き換えちゃうのとか、”愚痴嫁あるある”な気がする。

「恩を返し続けたくなる嫁」でいる努力や、そういう関係を築けるようなアプローチが必要なんじゃないかなーと。

さらに、ちゃんと感謝の気持ちを忘れない相手かどうかを見抜く選男眼(男を選ぶ目)への責任は、嫁の方にもあると思うのよね。

 

「結婚したらゴール」ではなくて、結婚したからこそよりよい関係を築くことができるようにお互い努力をし続けるというのが、一般的な考え方なら「嫁かわいそう」っていう意見は出てこないのではないかなーって思うのです。

 

とはいえ、嫁になれない私が、「嫁こうあるべき論」を語るなんて、まさに妄想。

まあ、こんなことばっかり考えてヒガミばかりが増えるから、結婚できないのでしょーね。

 

参考記事

ゲスの極、川谷不倫学び?1年未満の結婚を“卒業” - 離婚・破局 : 日刊スポーツ

ゲスの極み乙女川谷絵音の嫁は現在妊娠中だが逮捕かも!顔画像は? | ロイツが何か書く

ゲス極川谷が離婚、妻とベッキー同時に失ったのか… - 離婚・破局 : 日刊スポーツ

それでもベッキーが処女である10の理由(後編) - 森のカルロス大根

私もベッキーは処女だとおもう。

キングオブコント2015を見て、自分の感性が時代と合っていないことを実感して落胆した話

お笑い好きを自称する私。そして、漫才よりも断然コント派な私。
そんな私にとってキングオブコントは、年に一度の大イベント。この三連休の一番の楽しみだった。
というわけで、一人iPhoneを片手にTwitterでつぶやきながらワクワク見ていたわけですが。今回は、大爆笑ポイントほぼ皆無だったし、審査結果にも全く納得ができなかった。

何より印象的だったのは、巨匠のネタに対する審査委員長松ちゃんのコメント。

「昔の僕なら好きだったんでしょうね〜」

このコメントを聞いて「はっ!」とした。

↑は邪推ではあるけど、運営サイドの立場に立ったら十分にあり得る話だと思う。

確かに芸人審査員というシステムは、お笑いマニアが選ぶ芸人を優勝させてしまうシステムになり得てしまうのは事実。そんなシステムが、キングオブコントからスターが生まれない原因であるという可能性は否定できない。

そんな中、今年から採用された5人のベテラン(?)勢による審査員制度。そしてチラチラと垣間見えた審査員の中で共有されている何らかの審査方針(手放しで笑える楽しさかとか)。
それゆえのコロコロチキチキペッパーズの優勝なんだったらまあ、賛同はしないけど納得はできる。そして、きっとそれが、テレビやバラエティの世界が今、求めている潮流なのだろう。

私はその流れを「つまらないな」と思うし、今の審査基準が続くなら私にとってのキングオブコントの魅力は激減する。手放しで笑えるお笑いも好きだし、とてもいいけど、でも、やっぱり、お笑い芸人、特にコントの世界では「いかに新しい世界を見せるか」とか、そういうのが評価のひとつの軸であって欲しい。だって、もし、去年のままの審査方式だったら、今回の結果になったんだろうか。少なくともTHE GEESEと巨匠は、芸人審査員だったらもっともっと高評価だったと思う。

でも、そういうもやもやは、私が昔の流行にしがみついているだけなのかもしれない。松ちゃんの言う「昔の自分」。もう私の笑いへのこだわりは、旧世代のものになってしまったようで悲しい。
テレビの中で私が好きな笑いが評価される余地はもうないんだと思うと、自分の感性が時代に合っていない、追いついていないことを実感して悲しくなった。まあ、私が好きなタイプの笑いを見たかったら、自分でライブに足を運び続ければいいだけなんだけどさ…!

でも、やっぱり、面白くて才能ある人の努力が実ったら、メジャーな舞台で評価される雰囲気はあって欲しいなとも思うのです。 

なんか、最近の潮流と、私の感性が合っていないことを実感してしまい、ちょっと悲しいキングオブコント2015でした。来年は、もうちょっと違う審査形態と、評価方法になっていると…いいな…

 

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以下、注目してた芸人さんについての雑感メモ。

さらば青春の光は、これは大会にハマっているかどうか以前の問題だけど、空回り感がスゴかった…。全然会場に馴染めてなかった感じ。ネタ自体はつまらないわけではなかったけど、応援している気持ちの私でさえ、森田くんの気合に圧倒されて笑う雰囲気になれなかった。
気合入れすぎた結果、実力発揮しきれていない事故って感じがした。来年こそは優勝して欲しい。

THE GEESEのネタは個人的に大好きだった。こじらせ系メタコント!こういう新しい表現があるから、お笑い見るの好きだよ。作った人のお笑いが好きすぎる気持ちを見せられているようで、嬉しくなってしまうようなコント。今までの概念を覆して、膝を打たせてくれるようなコント。今大会の2大感動ポイントの1つだった。
でも、確かに笑いは少なかった。M-1ジャルジャルTHE MANZAIのアルコアンドピースがそれぞれメタ視点ネタでとった笑いの量に比べたら、この評価も納得…。まあ大会にハマっているかどうかというよりは、笑いの量としてしょうがなかったかも…。

バンビーノは、マイペースに好きなようにやってて、今回私が一番自然に笑えたコンビだった。特に2本目のネタ。今回の全出演者のネタ中で、一番楽しそうにのびのびやっていたように見えた。その楽しそうな雰囲気が会場に伝播して、会場の雰囲気がワントーン明るくなったような感じがした。今大会の2大感動ポイント2つめ。
ちょっと大げさだけど、M-1 2006のチュートリアルの徳井くん的な、THE MANZAI 2011のHi-hi的な、場の空気を支配しちゃう、そんなネタだった気がした。かなり終盤だったけど、あの瞬間がもっともっと前半に来ていたら、大会全体の空気変わっただろうなと思う。結果は残念だったけど、今回だったら断然バンビーノに優勝して欲しかったな。

そして、巨匠。ブラックで面白かったし、私は大好きなタイプのネタ。点数があまりハネなかった。こういうのも評価されないのかぁと落胆。…からの、松ちゃんの発言で納得という流れがありました。巨匠のネタ、結構好きなタイプなのにあまりたくさん見てないので、いろいろ動画を漁ってみよう。

知人の死をFacebookで知った話。

最近では珍しいことではないと思うのだけど、Facebookで知人の死を知った。

知人、という言葉を選んだのは、友達というにはおこがましいほど会う回数が少ない女のコの話だから。
共通の知り合いも、1人もいなかった。

彼女との出会ったのは、6〜7年前の夏の、高円寺のライブハウスだった。
会社から夏休みをもらって、大好きなミュージシャンを見に数年ぶりに高円寺へ行った時のこと。
ビールを1杯飲みながら、ちょうど高円寺の阿波踊りやっててそれを見物して、ほろ酔い気分でライブハウスへ向かった。
常連さんも多くいるようなイベントの中、私は初参加。狭いフロア。
みんなが談笑している空気と、ほろ酔い気分の勢いで、普段はそんなことしない私が、たまたま声をかけたキレイな女のコ、それが彼女だった。

彼女は、私と同じミュージシャンを見に来ていて、すぐに仲良くなれたように感じた。連絡先を交換する代わりに、彼女はメールアドレスが書かれたCDをくれた。彼女自身もミュージシャンだった。

そういう時にもらったCDは、私の場合、たいてい散らかった部屋の片隅に積まれて埋もれていくのだけど、彼女のCDはちゃんと聴いた。たまたま英語の勉強をがんばろうと思ってて、枕元にCDプレイヤーがあったというタイミングがよかったのかもしれない。

私の音楽の趣味はちょっと変わっているのだけど、彼女の音楽はとても私の好きな種類のものだった。なので、仕事帰りに、彼女が出るライブを見に行ったりすることもあった。

初めてライブを見に行った日は、ライブが終わった後に、彼女と他のバンドのミュージシャンが遊びでセッションをする輪の中に混ぜてもらった。私は楽器を演奏できないので、音響の調整をするような金具が入った工具箱を叩いて打楽器にした。彼女はぎこちない私を見て微笑みながら、彼女の得意な楽器(?)である声をハウリングさせていた。お客さんが帰った後のライブハウス。ほんのり明るいステージと暗い客席の境目で、リズム感のない私が、音楽の、セッションの楽しさを体感していた。

その後も何回か彼女の出演するライブを見に行った。彼女自身のライブよりも、彼女が参加する即興のセッションを見る機会が多かった。私が見に行ったセッションでの彼女は、すべて最高だった。楽しくて、聞いていて興奮して、心が動かされる、彼女に憧れる。そういうライブばかり見せてもらった。

一緒にライブを見に行ったこともあった。下北沢の複数のライブハウスをまたいだオールナイトイベント。良いライブをたくさん見て、飛び跳ねて踊って、コンビニで缶チューハイを買って、閉店した後の居酒屋の軒先で恋愛トークをした。
私の恋愛遍歴はたいてい人を呆れさせるけど、私なんか比じゃない彼女の恋愛エピソード。
いろんな話を聞いて、もっと彼女のことを好きになった。

一緒に渋谷でご飯を食べたこともあった。帰り道、公園通りの坂道を下りながら「仕事中にね、お酒飲んじゃって、怒られちゃったの」と、両手で顔を隠しながら話してくれて、「なんてかわいい人なんだ!」と大きな衝撃を受けた。
彼女はとても魅力的なので、私のたくさんの友達に紹介したいと感じていたけど、あまりに魅力的すぎるので、自分の恋人には絶対紹介したくないと思っていた。

最後に会ったのも、最初に会ったのと同じ、高円寺だった。商店街をふらふらしながら、コンビニで缶のマッコリを買って飲んだ。店先のふくろうをひやかしたりしながら商店街を歩いた。その後、ビールケースを並べて椅子にしたような居酒屋さんの軒先で、さつま揚げをつまみに、お酒を飲んだ。
その時の彼女は、恋人ととても幸せそうに生活していて、羨ましいな、キレイだな、と感じたのを覚えている。

それから彼女は一度地元に帰り、また東京に戻って来たという話をSNSで知った。夢だったフラワーアレンジメントの仕事についたらしい。ミュージシャンとしての活動もたまに続けているらしい。土日休みの私とはお休みが合わないな…と思いつつ、「いつかご飯でも行きましょうね〜」みたいなLINEのやりとりをしていた。

彼女の死に気づいたのは、Facebookがきっかけだった。最初は彼女のウォールに不穏な投稿が続いて、変だなと思った。「○○ちゃんのバカ」「信じられない」「もう会えないなんて…」…。そして「告別式が終わり、形見分けをしました」という投稿を見て、決定的だと感じた。その報告の投稿者に、迷惑承知でダイレクトメッセージを送った。やはり亡くなられたとのこと。彼女の信号無視が原因の交通事故で、バイクと衝突。即死。
酒癖の悪い彼女のこと、酔っ払っていたのかな…。
なんだか、とっても彼女らしいなと思った。

具体的に会う約束をしていない、知人の死。
Facebookがなければ、知ることもなかっただろう死。

私には、この死を悲しむ権利があるのだろうか。
わからない。

そもそも、私は悲しいのだろうか。わからない。まだ彼女に会える気さえしている。実感がわかない。

ただ、私は彼女に二度と会えないという事実が単純に心から嫌だし、会う約束をしなかったことを後悔している。
数回しか会っていない彼女のことを、心底好きだったんだと思う。
彼女と私の間にあるストーリーが好きだったんだと思う。
彼女はそういう風に人を魅了する力を持っている人だったんだと思う。
存在感の大きな人だった。

天国でも、マイペースに音楽をやったり、フラワーアレンジメントの上達に苦心したりしていて欲しいな。そして、私が天国に行った時にまた何かの話をしたい。恋愛でも、音楽でも、仕事でも。

ナンパしてきた男の人を好きになってフラれた話。

先々週の金曜の夜、会社の飲み会で酔っ払った後に、近所の友だちと更に飲んで、それでもなんとなく寂しくて帰りたくなくて、家の近くで野良猫と戯れていた時のこと。深夜2時くらい。私は、つかず離れずやっていた元カレとの関係に疲れ果ていて、とてもさみしい気持ちで、野良猫に一方的な熱視線を送っていた。猫は私の気持ちなど素知らぬふりで、のびのびと遊んでいて、私にかまってくれる様子はなかった。

真っ暗闇にしゃがみ込む私を見て、自転車で通りかかった男の人が「お姉さん、大丈夫?」と声をかけてきた。

その人はちょっとオシャレな感じで、クラブで遊んだ帰り道で、すぐそこの家に帰る途中だと言っていた。「猫がね、いるの」と言ったら、「空中見つめて危ない女の人がいる思ったけど、猫がいたんだね」と優しく受け応えてくれた。

 

そのまま、朝までやってる近所の飲み屋さんで飲むことになった。

飲み屋さんでは、とにかく他愛もない話をした。私の元カレがいかにヒドイ奴かとか、兄嫁がしっかりしてなくて不安だ、とか。趣味の話になって、同じ音楽フェスに行ったことが判明したり、仕事の話の流れから出身大学が同じだということが発覚したり、歳が2コしか違わなかったので共通の知り合いがいたり、そんな話で盛り上がった。

その日は酔っ払ってたせいもあったのか、3時間があっという間に経った。帰り、明るくなった近所の道を家の前まで送ってくれた。「あれ、ナンパしてきたのに家来なよ的なエロ攻勢はないんだ…意外といい人」と思いつつ、次の日の予定もあったので早く寝よと思って、朝日をカーテンで遮って眠りについた。

その日の夜、土曜日。「暇なら遊びに行かない?」と、クラブに誘われた。共通の趣味の音楽の話をしている中で話題にでてきた、そのジャンルを象徴するような場所でもあるクラブ。私は「行きたい行きたい!」と、文字通り二つ返事で応諾した。
まだ時間が浅かったこともあったけど、そのクラブは一時代前の盛り上がりが嘘みたいにガラガラだった。DJは悪いわけではなかったけど、なにせ人が少なすぎた。私たちは人がまばらなフロアで踊った。スピーカーの前は音が大きくて気持ちがよかった。

ガラガラの狭いフロアの片隅のソファに座っていると、その人は隣に座って私にキスをしようとしてきた。その直前、私はその人の目を見て「彼女、いるの?」と訊いた。その人は、ちょっと気まずそうに、でも堂々と、「このタイミングでそれ訊く?」と言った。

私は「ああ、そういう感じね、そりゃそうだよね」と半ば諦めのような感情になって、パタンと両目を閉じた。元カレとの関係に悩んで自暴自棄で、なんだか享楽的な遊びをしたかったのだと思う。目を閉じてすぐ、唇と唇が重なった。その瞬間の、高い崖を背中から落ちて行くような感覚は、とても甘美だった。

心地の良く堕落する自分に気持ちよくなって、お酒を煽って誘われるがままにホテルに行くことになった。元カレの浮気に苦しみ続けていた私は、浮気された本命の気持ちを知っている。彼女さんに申し訳ないなと思ったけど、それよりもどんどん落ちていく自分に酔っていた。後から傷つく予感はしていたけど、「まあいいか」と思って気づかないフリをしていた。


そのクラブから家まではさほど遠くない。なのにホテルに誘われたのは、家に彼女さんの痕跡がたくさんあるからだと言っていた。昨日エロ攻勢がなかったのはそれが原因かと妙に納得した。

移動中は、歩きながらイチャイチャして、歩いている途中はさりげなくカバンを持ってくれて、元カレには言われたこともない「かわいい」という言葉をたくさんもらった。チャラい男の人に縁がなかった私は気を遣われたり、優しくされたりするのが苦手なのだけど、その人にそう扱われるのは居心地がよかった。

そして、そのチャラさは本物だったのか、いろんなことがとても上手だった。

甘い言葉と優しさで、私の心を満たすのは、その人にとって簡単なことだったのだろう。

でも、気持ちよさに流されて心を動かされてはいけないことを、私は知っていた。表面的な甘い言葉や、その場限りの優しさを信用してはいけない。人様のものを欲しいと思ってはいけない。だって、私は、浮気された女の絶望を知っている。今していることの罪深さを自覚していた。

その2日後、月曜日。凝りもせずまた2人で飲みに行った。カフェで一緒にマンガを読もうと誘われ、罪悪感を持ちつつも、本心では喜んで待ち合わせに向かった。仕事終わりの割と遅い時間。近所のお店で意図せず深酒をしてしまい、ふたりともほろ酔いで夜の道を散歩した。
歩きながらその人は急に「俺もうすぐ結婚するんだよね」と漏らした。それを聞いた瞬間は妙に冷静で、「ああ、結婚すること決意した人なんだな」と「こうやって私と遊ぶのはマリッジブルーが原因なんだな」と思った。あとは、「こんなチャラい感じの人が結婚を決意する瞬間ってどんなんなんだろう」と素直に疑問に思った。
そして、その人は私に対して「もっと出会うのが早ければな」と言った。すごく嬉しかったけど、すごく無責任だなって思った。
そんな話を聞いた私は、「今まで近くで支え続けた彼女を大切にしろ」と涙混じりに力説した。私は、その人を通じて私と結婚することを決意できなかった元カレにそのメッセージを訴えていたんだと思う。マリッジブルーの男と、元カレを引きずる女。すごく不健全な構図だった。
その後、そんな話をした後なのに、またホテルでセックスした。やっぱりいろいろ上手だった。チャラい男の人が女の子の気を上手に惹くのは、こういう言葉を重ねるからなんだな、と思う言葉をたくさんもらった。

チャラくて売約済の男の人を好きになっても何もいいことはない。論理的にはわかっているけど、頭で感情をコントロールできるほど、私の構造はうまくできていなかった。この晩あたりから、恋に落ちていることを自覚した。
朝、お互い会社があって、2時間睡眠で朝7時に無理やり起きた。ふたりでタクシーを捕まえて帰ったんだけど、移動中に無言で手をつないでいる空間がとても幸せだった。この夏、この恋を思いっきり楽しんだら私は元カレを忘れられるかな…とか、あわよくばこの人と付き合ったりできないかなと思ったりしていた。

火曜日の夜は、LINEでやりとりをした。音楽や読書の趣味が合って、昔のマンガや音楽の感想を話したりした。
やりとりをすればするほど、私の好きモードは高まっていた。たった2晩一緒にいただけなのに、どんどん好きになってしまう。女の身体は単純だなと我ながら呆れていたけど、バカな私は感情のコントロールができなかった。 

水曜日の夜、「猫と仲良くなれない」とメッセージを送った。私は凝りもせず近所で猫にちょっかいを出していた。姿勢を低くして、目線を合わせたり合わせなかったりしながら、なんとかちょっとずつターゲットと距離を詰めて、写真を撮って送った。「こないだより猫の扱いうまくなったなw」と返ってきた。なんか嬉しかった。でも、そのやりとりの中で、小さな変化に気づいた。今まで私のことを名前で呼んでいたのに、いつの間にか苗字で呼ばれていた。そんな小さなことに緊張感を持つくらい、私はその人のことを好きになっていた。

土曜日の夜、私から「お散歩行かない?」と誘った。「いいよ。でもこれが最後」と帰ってきた。その瞬間、私はショックを受けてることを強く自覚した。
家の前で待ち合わせして、近所をお散歩。
お散歩しながら「もし万が一、次会うことがあっても、その時はもう結婚してると思う」と言われた。結婚って、そんなすぐだったんだ…と初めて知り、もう抗えないんだな、と悟った。だって、知り合って1週間「婚約者捨てて私と付き合って!」って言うには、関係が浅すぎる。

割と恋愛の話題は多かったんだけど、その中でその人は「大人の恋愛は片思いってないでしょ。どっちか側の脈が無い時は、片方が感情が盛り上がらないように遮断するから」と言っていた。その話を聞いて、「ああ、今、私は遮断されているんだな」と思った。
だから、私が好意を持っていることを伝えることはできなかった。その日が最後だったのに、なんかずっと当たり障りのない話、例えば学生時代にやってたバンドで宛先が間違ったファンレターをもらった、とかそんな話ばっかりしてた。本当はもっともっと、今の現在のいろんな話をしたかった。私がその人のどんなところに魅力を感じているか伝えたかった。でも、そんな話にはならなかった。普通に会話はできるのに、肝心の話題はうまく切り出せなかった。私は水槽の中で口をパクパクしている金魚のような気分で、声を出したいのに出せないもどかしさを感じていた。「何かを伝えたい」という思いだけはあったけど、何をどんな風に伝えればいいのかわからなかった。
お家の周りの街を大きくぐるりと一周歩いて、私の家の前でお散歩は終了。
最後に、よく共通の話題に出てきてたマンガを私からその人にあげた。「これ、俺一生読むわ。読むたび思い出すよ」とその人は言った。チャラいなって思ったけど、嬉しかった。でも、悲しくもあった。
「おやすみ」と言って去っていくその人の後ろ姿を、見えなくなるまで家の前で見送った。ずっと見てたら、遠くから振り返って、ちょっと大きな声で「おやすみ!」と言って手を降ってくれた。もっと悲しくなって、何も言えなかった。走りだして抱きつくべきだったかもしれないけど、そんなことをできるほど相手のことを深く知らなかった。

ふと足元を見ると、近くに猫がいた。深夜3時くらい。最初に声をかけられた時に見てた猫と同じ子かはわからないけど、私と猫の距離は確実に近づいていた。この間はそっぽを向かれていたのに、その時は一緒に見つめ合うことができた。寂しかった私は、猫と目を合わせているだけでとても気持ちが安らいだ。眠くなるまで猫と一緒に道端でボーっとしていた。当たり前だけど、声をかけてくれる人が通りかかることは、もうなかった。